jeudi17 fevrier ・・・ 写真家の本
2005年 02月 17日
パシャリとシャッターを切り、その視線をたぐりよせながら、前へ前へとシャッターを切って、追っていくわけである。被写体が手強いほど、その発する視線は強く、ぼくの手応えも大きい。いきおい、視線の強いものがぼくの被写体として残るわけであるが、決して大きなもの、重いもの、ゴツゴツしたもののみが強い視線を送ってくるとは限らない。たとえ小さくても、軽くても、中身の濃いものほど、ぼくに強い視線を投げかけてくる。時には子供や野の花にすら、するどく射すくめられることもあるのだ。
“土門拳”という写真家は、『筑豊のこどもたち』『古寺巡礼』という写真集のタイトルだけしか知らなかった。
画家のことを調べるときに、その画家が記した本を読むと、坦々とした言葉から発する強さを感じることがある。
写真家と、たとえ同じカメラを持ったとしても、技術以上の力量の差が生まれるのはなんだろう。そして、ただ“うまく撮れた写真”ということだけでなく、衝撃を受ける写真とは?
この被写体へ向ける“眼”から発するものの違いなんだろうか。
by cafevoyage
| 2005-02-17 21:12
| 本**